精神神経科学
わが国において「心のケア」の重要性がうたわれて久しく、うつ病患者数の増加、高齢化社会に起因する認知症患者の増加、さらには震災によるPTSDといった精神科に関連する話題は頻繁に報道されており、広く世間に知られています。
しかし、心のケアと一口にいっても、薬物治療などの生物学的なアプローチを優先すべきものから、カウンセリングなどの心理学的なアプローチが重要なものまで様々です。また、精神疾患を治療する上で、地域との連絡調整は不可欠です。当科では医師だけでなく、臨床心理士、作業療法士、精神保健福祉士といった多職種が在籍しています。現在、一般外来のほかに、専門外来としてうつ病外来、もの忘れ外来、ジストニア外来などを行っており、さらにリハビリテーション部門としてデイケア、作業療法を併設しています。こういった多職種がチームをなし、それぞれの立場から臨床、研究、教育に取り組んでいます。
精神疾患の解明とプレシジョンメディスンを目指して
多くの精神疾患の病態生理、メカニズムには未だ未解明な部分が多く残されています。しかしながら、近年の解析技術、情報技術の大きな発展により、その未知なる部分が探索可能となり、まさに精神神経科学関連研究は躍進するステージが訪れています。当講座では、精神疾患の原因や病態生理を解明し、精神科治療のプレシジョン・メディスンを目指し研究を行っています。プレシジョン・メディスンとは、疾患・治療反応に関連するゲノムなどのオミックス情報、患者さんの詳細な臨床背景・疫学因子などの膨大な情報を解析し、個人に適切な精密な医療を行うことです。研究グループは、ニューロフィジオロジー、臨床薬理・ゲノム薬理、ニューロイメージング、気分障害、老年精神医学などがあります。治療には、薬物治療などの生物学的アプローチだけでなく、心理学的アプローチが重要なものまで様々であり、精神疾患を抱えるそれぞれの患者に対し、多職種が力を併せて取り組むことが不可欠です。当講座では医師だけでなく、臨床心理士、作業療法士、精神保健福祉士が在籍しており、様々な観点からの臨床疑問に基づいた研究をおこなっています。
現在の研究テーマ
ニューロフィジオロジー(神経生理学)的手法による脳機能の評価
ニューロフィジオロジー(neurophysiology:神経生理学)とは、中枢神経(脳、脊髄)、末梢神経、筋の機能や病態を、脳波や筋電図などの電気信号で抽出し、その特徴を調べる分野です。
私たちは、心理的体験や疾患の有無といった条件で脳波を測定して、デジタルデータとして定量化して評価する研究(定量脳波研究)を行っています。解析方法は多彩で、脳波活動を三次元的に可視化するLORETA法や脳波マッピング技法の一つであるmicrostate map法といった手法を駆使して検証しています。
当研究グループは、向精神薬が脳波に与える影響を評価して薬剤の作用機序を推定する「薬物脳波学」と呼ばれる分野に以前から取り組んでおり、最近では治療効果判定を客観的に評価する論文などを発表しています。加えて、非侵襲性の脳刺激法による介入を行うことで、脳機能変化をおこした状態で脳波計測を行うことで、病態解明と臨床応用の可能性について研究しています。
気分障害・統合失調症におけるプレシジョンメディシンを目指した臨床・ゲノム薬理学的研究
うつ病の社会的損失は年間3兆円、統合失調症は2.7兆円であり、年間約3万人の自殺者の多くは精神疾患と関連しています。しかしながら初期治療に対し30-50%が治療抵抗性であり、不適切な薬物治療がその一因となっているため、精神疾患においても、プレシジョンメディスンの確立が急務とされています。これまでに、薬物反応性と有意に関連のある遺伝子多型やバイオマーカーが報告されていますが、実臨床で有用なレベルのマーカーはまだ見つかっていません。その理由として、これまでの試験では、治療法が統一されてない試験や1遺伝子・1バイオマーカー単独での報告が乱立しており、それら試験は治療反応と相関のあるマーカーを公表することをゴールとしており、そのエフェクトサイズや治療への寄与率が考慮されておらず、また、それらを総合的に臨床へ活用しようと試みられていないことが、問題点であると考えます。
私たちは、これらの問題点に打ち勝つべく、ゲノミクス-エピゲノミクス-インフォマティクスを一貫してトランスレーショナルに一望することで、実臨床で活用できる有用なマーカーを発見し、患者さんに還元できる、プレシジョン・メディスンを目指しています。探索する因子としては、ゲノム(DNA,miRNA)や、そのメチル化、治療に影響する血中蛋白などのバイオマーカー、性格、生活環境などの患者さんの背景や中間表現型(定量脳波やMRI)を対象としています。これらのたくさんの因子が、どのように薬剤の治療反応に影響しているかを詳細に解析することで、各患者さんに最適な治療を導くアルゴリズムを構築していきます。これまでに、すでに多くの成果を世界に発信していますが、進化する解析技術を使用し、さらなる質と精度の向上を目指し、知識とデータを蓄積し続けています。
神経画像解析による精神分析学への新たなアプローチ -MRI拡散テンソル画像解析による精神分析的精神療法治療効果判定-
ミラーニューロンは「共感」と関連があるニューロンです。精神分析学の創始者であるフロイトが提唱してきた投影性同一視や転移、逆転移の考えが、ミラーニューロンの発見によって裏付けられたという報告があり、この領域に注目することが、自然科学と人文科学をつなぐ研究に発展すればと考えています。この研究は、精神分析的精神療法が「共感」と関連するミラーニューロンを変化させ、精神疾患の治療・再発予防に貢献するのかを明らかにする世界でも初めての試みになると考えています。真実に向けた作業は、神経画像解析においても精神分析学においても非常に過酷な作業ですが、たくさんの方に協力していただきながら追究して得た真実を皆様と共有したいと考えています。
反復経頭蓋磁気刺激療法(repetitive Transcranial Magnetic Stimulation: rTMS療法)
反復経頭蓋磁気刺激療法(repetitive Transcranial Magnetic Stimulation: rTMS療法)とは、脳に対して反復的に磁気刺激を行い脳内に誘導電流を発生されることで脳を刺激する、うつ病の新たな治療法です。アメリカでは2008年に、アメリカ食品医薬品局(Food and Drug Administration :FDA)に承認されており世界的には標準治療の一つとされており、日本では2019年6月に保険収載されています。現在は、抗うつ薬が一剤以上有効でなかった中等度以上の大うつ病性障害(うつ病)の患者さんのみ保険適応されていますが、海外では強迫性障害をはじめ依存症、双極性障害など様々な精神疾患への応用も期待されています。
rTMSチームでは、他院からの見学などの臨床分野での普及・啓発や他の精神疾患への臨床応用、新たな刺激法・刺激部位の模索、治療反応予測因子の探索、定量脳波解析による脳機能画像研究などを行っております。また、他大学との共同研究も行っており、全国規模でのレジストリ(データベース)にも参加しています。
電気けいれん療法(electroconvulsive therapy: ECT)における最適手技の開発と同定
電気けいれん療法(ECT)は1938年にUgo CerlettiとLucio Biniによって開発された、頭部に通電に伴う大発作の誘発により精神症状を改善する、精神科領域に現存する最古の生物学的治療です。様々な歴史的な変遷を経て、現在では適応疾患も明確となり、新たな手技(全身麻酔を用いた修正型、パルス波治療器の導入、電極配置の工夫など)を用いることで、より安全で有効性の高い治療が行われるようになっています。
当講座のECT研究チームでは、本邦におけるECT基幹施設の一つとして、ECTの治療効果の源泉である発作波の質を高めるための最適な治療手技を探る臨床研究やレジストリの基盤作成、より安全かつ有効なECTを行うためのエビデンスの創出を国内外の研究機関と共同して行ってます。
研究業績